騎手に迫る騎手からの華麗なる転身

騎手を辞めても同じ世界で長く働ける、すごくいい業界だと思っています

松永 幹夫調教師

1967年生まれ。競馬学校を第2期生として卒業、同期に横山典弘など。デビューした1986年に40勝で関西放送記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞。以降も関西リーディング上位の常連として活躍し、競馬ブームの立役者の一人に。38歳の時に騎手引退を決断し、2006年引退。デビューから所属を貫いた山本正司厩舎を引き継ぐ形で2007年に開業した。以降は2009年の秋華賞馬レッドディザイアをはじめ次々と活躍馬を送り出し、トップトレーナーの一人として活躍中。

  • 食事制限が厳しかった競馬学校時代

    僕が騎手になるきっかけを作ってくれたのは、父です。父は馬が好きで、僕が子供の頃から、今はなくなってしまった荒尾競馬(2011年廃止)によく連れていってくれました。中央競馬は、九州の田舎だったのでテレビで大レースを見るくらいでしたが、せっかく騎手になりたいならということで、まだできて2年目だった競馬学校の願書を取り寄せることになったんです。

    当時の競馬学校は今に比べるといろいろ厳しかったですが、特に食事制限は厳しくやっていましたね。いつもお腹を空かせていた記憶があります(笑)。でもあのときの厳しさは、その後の自分に生きていると思います。

  • 3から4コーナーを最後の直線だと思ったデビュー戦

    デビュー戦のことはよく覚えています。阪神のダート1800mで、隣のゲートに河内洋(現調教師)さんがいたんですが、僕のムチがゲートを仕切る金網の目にスポッと刺さって向こう側に飛び出していて「アンチャン、ムチがこっち来てるぞ」って言われてあわてて抜いたんです。あのままスタートしていたら、ムチなしで走ることになっていたでしょうね(笑)。

    さらに、当時の阪神はオニギリ型のコースで3から4コーナーが短い直線のようになっていたんですが、僕、そこがホームストレッチだと思ってしまったんです。必死に追っていたらもう1つコーナーが出てきて、驚きましたよ。僕らの頃は模擬レースなんて1回やったかどうかというくらいでしたから、競馬場の広さがまったくつかめていなかったんですね。

    ちょうど僕がデビューした頃から競馬の人気が高まって、すごく華やかで楽しい時代がやってきました。競馬場が明るくなった、ってよく言われました。ユタカ(武豊騎手)とか岸(滋彦騎手、現在は調教助手)とか、若手がたくさん活躍していて、注目してもらっていましたね。

  • 若くて元気なうちに調教師になろうと騎手を引退

    将来は調教師になりたいなと思いはじめたのは、デビューして15、16年経って、30代半ばにかかる頃でした。師匠の山本正司先生に、せっかくこの世界にいるなら調教師もやるといい、調教師もいいもんだぞ、と聞かされて、それなら勉強してみようかな、と。

    騎手を引退したのが38歳と比較的早かったのは、どうせ調教師になるなら若くて元気なうちになりたいと思ったからです。騎手として乗れるまで乗ってから調教師になると、案外、定年までが短いんですよ。もったいないって言ってくれる人もいましたけど、僕自身はまったくそうは思っていなくて、次の調教師としての生活が楽しみでならなかったです。

    もちろん、同期のノリ(横山典弘騎手)のように、乗れる限りは乗るというのも一つの生き方だと思います。そのノリが、調教師として開業した僕の厩舎の初勝利の騎手だったというのは、偶然というか小さな奇跡というか。いずれにせようれしかったですね。

  • 騎手の喜びと、調教師の喜びの違い

    騎手は、次から次へと違う馬に乗る仕事で、ある意味、走らない馬は次には乗らないという選択もありえます。でも調教師は、そういうわけにはいきません。

    仕入れの段階から馬を見て、それが厩舎に入って、やっぱり動かない馬もいます。でも騎手のように、じゃあ別の人にというわけにはいきません。なんとか走らせなければいけない。騎手は、馬場に出たらすべての責任を負う仕事ですが、調教師にはそれとは種類の異なる、大きな責任があります。その違いはすごく感じますね。

    でもそれは、苦労ではなくてやりがいなんですよ。あの小さかった馬がここまで走ってくれたとか、そういうのってものすごい喜びですよ。こういう喜びも、騎手の喜びとはまた種類の違うものなんです。

  • 引退後、調教助手の道を選ぶ騎手は多い

    騎手は引退した後も、調教師はもちろん、馬乗りの技術を生かして調教助手になることもできるわけで、この道を選ぶ人もすごく多いです。どちらにせよ、続けて競馬の世界で働けるというのは心強いことだと思いますよ。

    もちろん騎手は華やかな仕事ですし、お金を稼いで親孝行をすることもできます。でも他の、例えば調教助手や厩(きゅう)務員といった仕事も自分次第で大きく稼げる、すごくやりがいのある仕事という点では同じなんです。今、厩務員の定年は65歳で、調教師は70歳。騎手を辞めてもそうやって同じ世界で長く働くことができるんだから、僕はこの競馬サークルって、すごくいい業界だと思っているんですよ、本当に。

    僕の厩舎でもレッドディザイアやラニが海外のレースに挑戦していますが、そこで戦っているのは騎手だけではありません。調教師も厩舎スタッフも、同じように「世界」で戦う仲間です。騎手を辞めても、馬に携わっていればそういうやりがいも変わらず得られるんです。

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