武 豊 騎手Yutaka Take
1969年生まれ、父は元騎手の武邦彦。競馬学校第3期生。1987年にデビュー後は、9年連続を含む18回の全国リーディング獲得など日本を代表するトップジョッキーとして活躍。日本ダービー5勝を含むGI・100勝以上、重賞400勝以上(共に地方・海外含む)などの数字はいずれも前人未到のものとなっている。
2016年でデビュー30年目を迎えましたが、長くやってこられた秘訣があるとすれば、やっぱりこの仕事が好きだからということに尽きます。せっかく騎手になったんだから、もっともっと上手くなりたい。そう思い続けて30年という感じです。今でも楽しくてしょうがないですし、やりがいを感じています。
デビュー戦(1987年3月1日)のことは、はっきりと覚えています。阪神のダートで、馬場への入場はコースの内側からなんですが、出て行ってパッとスタンドを見たときに、今まで知っていたのと逆の風景だったことがすごく印象に残っています。そうか、これが騎手の目線から見る競馬場の光景なのかと思いました。
ちなみにそのレースは2着。初勝利は翌週の阪神だったのですが、その日は雪が降っていて午後(7レース以降)のレースが中止になってしまったんです。僕が勝ったのは午前中のレースだったので、テレビの競馬中継ではその後ずっと午前中のハイライトが流れていて、自分の勝ったシーンが何度も繰り返されていたのをよく覚えています(笑)。
現在は自分の体のケアはすごく考えてやっていますけど、正直、若い頃はあまりしていませんでした。というか、当時はそんな情報自体がなかったんです。トレーニングとか、怪我のケアとか、レース後の身体のケアとか、そういうことが必要だというのは年齢を重ねながら自分で気づいていきました。今の若いジョッキーは最初からみんないろいろやってますよね。僕も若い頃からやっておけばよかったです(笑)。
一般的に、ジョッキーというのは他のスポーツ選手に比べて競技年齢の長い職業です。もちろん体を使った仕事ではありますが、自分で走ったり跳んだりするわけじゃないですからね。年齢による衰えを感じる瞬間は……個人的には、お酒に弱くなったことくらい(笑)。体重も変わらないですし、風邪も何年かに1回くらいしか引きません。お腹も痛くならないですし、いたって元気ですし、それ以外に若い頃と変わったなと思うことはありません。
競馬学校で学んだことでいちばん役に立っているのは……我慢することですかね(笑)。特に僕の頃はすごく厳しかったんじゃないかな。僕は3期生で、つまり学校としてもこのとき初めて1年生から3年生までがそろったわけで、いろいろと手探りだったのかなとも思います。とにかく先輩たちは怖いし、生活も厳しいし。
でも、そういう厳しさは競馬学校に行ったからこそ経験できたんだと、後になってわかりました。今では若い頃にその厳しさを経験できて、人としてよかったと思っています。でも最近の競馬学校はそんなに厳しくないようで……寮の感じとか見ていると、みんな楽しそうでうらやましいです(笑)。
騎手は、やめた後も競馬に関わる仕事に就くケースが少なくありません。僕の周りにもたくさんいます。ただ僕の3期生からは、調教助手はたくさんいるけど、まだ調教師になった人はいないんですよね。誰かがなってくれたら、その厩舎の馬に乗りたいのに(笑)。
調教師や調教助手になっても、やっぱりいっしょに乗っていた人たちとの関係というのは、どこか仲間意識というか、特別なものがあります。そういう人の中には、本当はもっと騎手を続けたかったけれど、残念ながらという感じで引退する人もいます。そういうのも見てきているので、自分はこうしてまだ乗れているんだから、ちゃんとしなきゃという気持ちになりますね。騎手をやれているのは幸せなことなんだ、と。
これは若い頃の自分にも言ってあげたいことですが、騎手という仕事に対して、誇りを持ってほしいなと思います。若い頃って、そういうこと自体あまり考えないものなんですよ。でも続ければ続けるほど、騎手っていい仕事だなとわかってくるんです。
だって、騎手だけなんですよ、馬といっしょにゴールできるのは。あれは本当に騎手だけの特権です。ディープインパクトみたいな馬も、ファンの皆さんはその姿を見るために徹夜してくださりますけど、そんな馬に僕は乗ってるんだよな、これってすごいことだよなってあらためて思うことがあります。
もちろんつらいこともありますけど、それも含めて、この仕事の魅力だと思います。自分の頑張り次第で、チャンスが目の前にあるんですから。夢のある仕事ですよ。