強豪国を相手に激闘を繰り広げるサッカー日本代表選手のように。世界各地で日の丸を背負って戦う、テニスや水泳の選手のように。競馬の騎手もまた、いまや海を渡って「世界」と戦うトップアスリートといえます。
騎手の海外遠征の機会は、日本の競走馬のレベルアップとともに飛躍的に増加してきました。その大きなきっかけとなったのが1998年夏、フランスで武豊騎手のシーキングザパールと岡部幸雄騎手のタイキシャトルが2週続けて現地のG1レースを優勝するという快挙を達成したことでした。
2014年 ドバイデューティフリー ジャスタウェイ(福永祐一騎手)
2013年 凱旋門賞 キズナ(武豊騎手)
以降、日本馬は「世界」に積極的に飛び出していきます。そして日本の騎手もまた、その背で「世界」と戦い続けてきました。フランスとイギリスで短距離G1を制したアグネスワールド(武豊騎手)。香港でクイーン・エリザベス2世カップ連覇などG1を3勝したエイシンプレストン(福永祐一騎手)。そして、2014年にドバイデューティフリーを圧勝したジャスタウェイ(福永祐一騎手)が獲得したパフォーマンスの数字は、その年の世界の競走馬ランキング(ロンジンワールドベストレースホースランキング)のトップに輝きました。また、直近ではUAEダービー(G2)をラニ(武豊騎手)が制しました。
いま、日本で騎手になるということ。それは「世界」で戦うチャンスがすぐそこにあるということなのです。
日本の馬が海外に遠征するケースだけでなく、騎手が単独で海外に出て行き、ある程度の期間にわたって外国で騎乗することもあります。慣れ親しんだ日本をはなれ、海外でゼロからチャレンジする姿は、アメリカに戦いの場を移す野球選手やヨーロッパへ移籍するサッカー選手と同じものといえます。
一方、近年はその逆に、世界から名手が日本にやって来るケースも目立っています。3か月間の限定で認められている「短期免許」という制度を利用して騎乗する外国人騎手は、その数も質もどんどん高まっています。イギリスのライアン・ムーア騎手や、香港のザカリー・パートン騎手など、世界のトップジョッキーが日本にやって来て、その高い技術を披露しています。
ライアン・ムーア騎手
ザカリー・パートン騎手
ミルコ・デムーロ騎手
またイタリア出身のミルコ・デムーロ騎手やフランス出身のクリストフ・ルメール騎手は、何年も短期免許で来日し続けて、ついに日本(JRA)の騎手免許を取得。年間を通して乗る「日本の騎手」となりました。
いまや日本競馬は、そういったハイレベルな世界の名手たちと対等な立場で競い合い、自らを高めることのできる場なのです。
世界に数ある大レースの中でも、とりわけ日本のホースマンがあこがれを抱くレースがあります。それがフランスの凱旋門賞です。1920年に始まり長い歴史を誇るこのレースは、ヨーロッパのシーズンの最後を飾る大一番で、古くからさまざまな国の一流馬と一流騎手が集まるレースでした。
日本の馬の参戦は1969年のスピードシンボリ(野平祐二騎手)が最初(着外)でした。そして1999年、通算4頭目の挑戦者となったエルコンドルパサー(蛯名正義騎手)が、勝ち馬モンジューにわずか1/2馬身差の接戦で2着。文字通り世界を驚かせました。
2010年 凱旋門賞 ナカヤマフェスタ(蛯名正義騎手)
2013年 凱旋門賞 オルフェーヴル(クリストフ・スミヨン騎手)
その後、日本馬の凱旋門賞挑戦は加速していきます。2006年にはディープインパクト(武豊騎手)が挑むも3位(のちに失格)。2010年にはエルコンドルパサーの時と同じ蛯名正義騎手のまたがるナカヤマフェスタが、またもや2着。2012年と2013年にはオルフェーヴルが、現地フランスのクリストフ・スミヨン騎手を背に2年連続の2着。あと一歩で栄冠を逃し続けています。
日本馬の、そして日本のホースマンの悲願となっている凱旋門賞制覇。そのいまだ誰も手にしていない栄誉を史上初めてつかむのは、もしかしたらあなたなのかもしれないのです。