騎手を支える人々

騎手をめざす若者の親として「強く、できれば長く輝き続けられるよう、精神的なバックアップをしてあげられれば」|菱田裕二騎手の父・菱田壽男さん

菱田 裕二 騎手Yuji Hishida

1992年生まれ。京都府出身。競馬学校には第27期生として入学したが、留年したため第28期生として卒業。デビューした2012年に23勝をあげて中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞する。以降も2013年52勝、2014年64勝、2015年37勝と勝利を重ね、実力派の若手騎手として評価を着実に高めている。

  • サッカーに熱中していた子供時代

    息子は、小さな頃から体を動かすことが大好きな子で、小学1年生から始めたサッカーではJリーグのクラブのジュニアチームに入って頑張っていました。とにかく練習が好きで、将来は絶対にプロになるんだと言っていましたね。

    息子には、自分のことは自分でする、自分で考えて行動するということを教えて、例えばサッカーについても親が必要以上に口出ししないようにしてきました。ただ、そのサッカーでは中学に上がる頃から体の小ささがネックになって、少しずつ限界を感じはじめてはいたようです。

    いっしょに競馬を見に行ったのはその頃でした。私自身はギャンブルもしませんし、競馬にも特に興味はなかったのですが、京都競馬場が家から電車で15分くらいで、何か大きなレースがあるらしいので遊びに行ってみるか、という感じです。たしか春の天皇賞でした。

  • 突然訴えた、騎手になりたいという気持ち

    後から聞いてわかったんですが、そのとき初めて見た競馬は、息子の中にかなり強い印象を残したようです。でも私たち両親にはそのことは隠していて、図書館で競馬の本を借りて熱心に読んだりしていたようです。突然、乗馬クラブのダイレクトメールが届いたりして、その時はなぜこんなものがと思ったんですが、それも息子が自分で資料請求したものでした。

    そうしたら中学2年生の終わりに、じつはもうサッカーを辞めたい、そして競馬の騎手になりたいんだと突然言ってきたんです。ものすごくきっぱりとした、強い調子でした。

    私は、最初は反対しました。サッカーの先生にも、プロになれなくても続けていれば指導者の道に進める素養もあるから、と聞いていましたし。そこで、騎手は命の危険も伴う厳しい世界で、甘い気持ちで入るわけにはいかない。競馬学校に入学できたら、その時点で勘当するつもりだ、と言ったんです。すると、それでも騎手をめざしたいと泣いて訴えるんです。“これは本物だ、意思は固い”と思って、それなら応援しようと決意しました。

  • 乗馬を練習する場所を自分で探してきた

    とはいえ、乗馬クラブはけっこうなお金がかかります。我が家では厳しいなと思っていたら、本人が自分で調べて、京都競馬場で無料で乗馬を教えてくれる乗馬センターの少年団を見つけてきました。そして、そこに中学3年生の4月から通いはじめました。土曜と日曜、1回30分くらいのものです。

    とにかくあの頃の息子の目つきの真剣さはすごかったです。5月に学校の修学旅行があったんですが、それに行く時間も乗馬の練習をしたいというんです。そこで、担任の先生を自分で説得できればいいよと言ったら、本当に許しをもらってきましたから。私たち両親も、乗馬の練習は朝が早かったので、送り迎えなどできる限りの応援をしました。

    競馬学校に合格したときは、知らせてきた電話の向こうで泣いていましたね。サッカーでゴールを決めても、どちらかといえばいつもポーカーフェイスだった子が、うれしくて泣いたのなんてあれが初めてだと思います。

  • 留年にも、これはビッグチャンスだと思えと言った

    競馬学校が厳しい場所だということは、受験前に見学会に行ったりして理解していました。親としては、やっぱり戦場に送り出すような気持ちでしたね。

    留年は、保護者も含めた面談があって、そこで伝えられました。ただその前に参観日で見た時に、少年団の頃に比べてぎくしゃくしているな、プレッシャーに負けている状態なのかなということは感じていたんです。実際、教官からはそういう話がありました。

    私がその時息子に言ったのは、これはチャンスだと思え、ということです。こんな乗馬経験が少ないやつが、留年までして訓練させてもらえるんだから、感謝すべきことだ。ビッグチャンスじゃないか、と。息子にとってはつらい時期だったと思います。でもその壁を乗り越えたことは、その後の彼にとって大きな財産になったと思っています。

  • プロとしてデビューしたら、もう誰も手を貸せない

    プロの騎手としてデビューしてからは、もう誰も手を貸せません。私たち両親も、絶えず心の中で応援するだけです。頑張っているやつに、頑張れと言ってもしょうがないですしね。頑張っているのをよく知っているだけに。

    息子が少しでも強く輝くことができたら、幸せなことじゃないか。そうやって強く、できれば長く輝き続けられるよう、精神的なバックアップだけでもしてあげられればと思います。苦しい時に背中を押してあげられたらというのが、いつも思っていることです。

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